どうしようか、と月子が言う。また夢だ、とそんな実感だけがある。フローリングで、小さな窓だけのある月子の部屋。彼女の実家、アパートの一室は底冷えする。目の前には一メートルくらいに積まれたCDがしかも三山。知り合いのお姉さんが就職するから、CDをどっさり置いていったと、そんな電話が掛かってきて。そのころには私と月子の趣味は既に少し違っていたから、お互い要るCDだけを分け合おうという話になった。

「プラは、真知?」

「うん、コレどうしようか」

「ああラピュータかあ」

「ちょっと聴きたいな」

「じゃあダビるよ」

「了解」

 大量のCDを分け合っていると、なんだか変な気分になる。私はそのお姉さんのことを何も知らない。それなのに、彼女の降り積もった時間を、分け合って。

「あ、」

 月子が、うっかり積まれたCDを崩す。透き通るケースと虹色の盤と、黒ベースの歌詞カードが散らかって、光が眩しい。無作為に、炸裂した、音が。

 

「一人二千円」

「はい」

 結局飲み屋が閉まる朝の五時まで眠り続けてしまった。変な体勢で机に伏していた物だからライブの疲れも相まって首から腰まで妙に痛い。今日もライブなのに大丈夫なのかなあ、とそんなことを思った。ミカさんがお金を徴収して回っているので、まだ怠い頭を抱えて素直に渡す。

「これからどうするの」

「漫喫行って、寝ます」

 朝の新宿は薄青く発光している。空気はゆっくりと沈殿してこごっている。動作は緩慢になり、揺れている。世界が、早朝が、滲んでいる。

 私はとりあえず漫画喫茶に行き、リクライニングの座席を取り、寝た。キャリーの中には着替えと化粧道具と、いくつかの細かいものたち。メイクを拭い、予約をしたシャワーの時間まで足を伸ばす。小さく区切られた狭い空間で、安堵してしまっている自分が居る。私を無気力だと、月子はよく言う。確かにそうかも知れない。月子なら、あんな席でももっと楽しく、鮮やかに居れただろうから。

 漫画喫茶と普通の喫茶店で半日ほどをだらっと過ごして私はまたライブハウスの前にいた。芝浦の、随分歩いてさみしいところ。倉庫のような建物がキラキラと装飾されてぽつんとある。暇なので高速道路の高架をくぐって、一寸した公園のような所に出る。基本的にライブ前は一人だ。また水乃さんやミカさんと会う約束はしたけれど、待ち合わせ場所なんかを確実に決めたわけではなかったし、公園にはもう既に黒い服を着た少女達が群れていたナオトやメタモや、ゴークアウアア。みんな凝らした服を着て何処からお金を稼ぐのだろう。不思議だ、本当に不思議だ。私のバイト代なんか、大概バンドで吹っ飛んでる。CD買ってライブ行って雑誌買ってもうアウトだ。

 海が見える。笑いが込み上げる。ここは何処だ、磯の匂いも薄れた都会の灰色。どうしてここにいる、馬鹿になるためか。夏の日はなかなか落ちない、もういい時間だというのに周囲は未だ、仄かに明るい。

 もう多分気は狂っているんだ、バンギャだから。

 白い鳥が飛んでいて綺麗だった。いつかの幻覚みたいで綺麗だった。ベンチに逆向きに座って、膝だけで立ってみる。朽ちる寸前のコンテナが、そこかしこで赤錆色。

「真知ちゃん」

 煙草の匂いがした。

「あぶないよ」

「うん」

 振り向いた、風がごっと吹いた。髪の毛が揺れてグロスにまみれた唇に張り付いた。肘が伸びて、新しい関節が生まれたような気分になった。じき開場だよ、と水乃さんが言った。私は頷いて騒がしい所へ帰った。ミカさんが今日は私服で相変わらずにこにことしている。サボもいる、今日はh.アナーキー。昨日とは大分雰囲気が違う。今日もモモトセが出るのだ。最前に入り込む算段も熱を帯びてきているころで、私にはなぜか右側の端っこが割り振られていた。意味も分からず、頷いた。

 

 ライブハウスは広く、何もかもが美しく調っていた。新しいのよ、って自分の持ち物を自慢するみたいに誰かが言った。私は曖昧に頷いて、小さな段差の端にキュウとなって座ってみた。回りにどんどんみんなが鞄を置いて、ホテルのクロークの内側ってこんな感じかもって思った。私達はまるで全ての地平をクロークにするみたいに移動してる。どこまでもどこまでも連続する鞄の列。コムサのキャリー、ナイトメアのキャリー、ミホマツのキャリー。ジャンル違いのバンドが多い対バンで、客層も普段のライブより少し若いような気がした。切り取られて、片面の毛羽立ったチケットを見ていると、あまりの意味不明に目眩がする。

キー様は一体何がしたいんでしょうかねー」

「知らないよー」

 水乃さんも流石に疲れて居るみたいで、口数が明らかに少ない。周囲が黒くてもけもけしているのが多すぎるせいで、スミレコ連中は何となく形見狭そうにぽつぽつと散っている。ライブハウスのどこかにいるはずの月子を探せどよく解らなかった、既に薄暗いそこは微かな、曖昧な人の声と、何処か悲しいようなSEだけが満たしている。

 壁を背に膝を抱えるとなんだか妙な安堵がある。目を閉じてうつらうつら、あんなに眠っても眠り足りないのか、背骨に疲労が張り付いているのか。

 月子、どこ? 月子、どこ? メールを送れど返事無し。

 幕が開いた。私とさして年の変わらないくらいの子がボーカルだった。きらきらしていた。太陽の光の様な金髪に蛍光色のエクステをたくさんたくさん着けて、口を開けて何か歌って、煽って。みんな一緒に見える。私は悪いけれど、この手のバンドはよく解らない。バンドがはけてから水乃さんが横でずっとさっきの煽りの真似をしていて、申し訳ないけど凄く似てて面白い。

「前良いですか後ろ良いですか真ん中良いですかー。頭振って下さい手上げて下さい、行きますよ良いですか、ヴォーイ!」

 小声で、横の私に聞こえるか聞こえないかくらいの声でするのがまた面白くってたまらない。くつくつ笑っていると、次に出てきたバンドがまた同じ調子で更に笑えてしまう。そんなことをしているといつの間にか演奏が終わっていて、幕が下りていた。周りの人たちがゆっくりと動き出す私もつられて立ち上がる。人をかきわけ、かきわけ。すいませんスパングルみたいんです、と小声で免罪符のように呟きながら。銀の幕まで泳ぐ。一体誰が順序なんて教えてくれるのか、私は知らない。

  必死にたどり着く、ここには柵がないので手を伸ばすと幕に触れる、駄目だろうなと思いながらも裾からのぞけないかと首を傾げる。

 もはや見慣れた黒髪のローディが裾から何か抱えて出てきた。ぱん、と広げると銀色の薄い布で、仄かな照明に照らされて月のように光る。ステージの端から端まで、すっと張って。マイクスタンドに同じ布をくくりつけた。スパングルだ、と解る。先日のような凝ったセットでなくても、彼等は彼等の方法で世界を変える。いつの間にかSEは消えていて、よく劇場なんかで聴くような開演のブザーが鳴り響く。幕がさっと開き、綺麗な人が立っている。斜め下から睨め付ける、真っ白なその姿。私の手が、届きそうで届かない。遠い、遠いよ。

 でもきっと届かない方が良いんだ。

 

 ライブ中は何時も何も考えない。私の心の中に溜まった妄想の滓や、澱のような感情もその間は静かにして置いてくれるので安心だ。ただ音があって、綺麗な人たちが居て。私はぼんやりと口を開けてそれに圧倒されていればいい。爆発するような打ち込みや、消えそうなバイオリンの音や歌声。跳ねるみたいな余り巧くないベース。そんなものに見入っていればい。一瞬だけだから逆に安心してそれを好きでいられる。永遠に続かないから嘘で良いんだって、そんなことを思ってる。

 いつものように歌い終わり、曲の余韻も消えないうちにメンバー全員ぺこりとお辞儀をして帰る。幕がすとんと落ちてみんなばらばらの方向へ行く。会場が選んだのだろうそぐわないSEが流れ出す。どっかの洋楽、私の知らないやつ。

 定位置になっていた隅っこに帰ってメールをする。もう何通目か解らないくらいなのに何の返事もこなくていらいらしてしまう。まあまだ、月子の好きなバンドは出ていないので、鞄に携帯を入れっぱなしでふらふらしているのかな、なんて思ってメールを送るのを止めた。いざとなれば駅で落ち合えばいい。

 ミカさんがお腹が空いたと言い出したので、水乃さんと一緒にライブハウスを抜け出して目の前のウエンディーズに避難。再入場用のスタンプ手のひらに押して貰って、ぽん。赤い花が咲いた。

「モモトセは九時過ぎだって」

「ああ、まだ大分ありますねえ」

 開いた携帯の、瞬くデジタル数字は7:32。体温のような組み合わせに笑う。長丁場だね、うん。ご苦労様。うん。

「エンデ解ります?」

「聞いて無いなあ、もうちょい早い気が」

「あ、じゃあ大丈夫ですね」

「どしたん」

「ツレが居るんです」

 とりあえず笑っておく。湯気を立てるチリスープの外見がグロテスク。

 そのままどうでも良い会話をつづける、ミカさんは行ってしまった。ぼんやりしてると帰ってくる。時間が急加速されて息が詰まりそう。大通り沿いのガラス窓車だけが流れるよ。黒い黒いのはバンギャの服、髪、わだかまっている夜。こめかみが痛い、あの幻覚が復活しそう。

「顔色悪いよ」

「うん……」

「もう、ライブハウスに戻らない方が良いと思う、スパングル終わったし」

「うん……」

 水乃さん、どうして私にそんなに気を使ってくれるの? 月子ですら今この場にいないのに、月子、月子に会いたい。

「月子って名前、良いと思わない?」

 これは中学校の図書館での話。何となく思い出しただけなのに、空気を伴ってありありと、口の中に溜まった唾の味さえ蘇る。その台詞をきっかけに。

「なんで」

 月子の読んでる本は綺麗。小豆色の表紙に蛇が絡んだ分厚い本、字の色も同じ。そして緑も混ざっている。そんな本がここにあるなんて知らなかった見たこともなかった。月子も綺麗、放課後の光に照らされて影絵みたい。夏休み前で早上がりの授業、塾まで暇で解放されてる図書室にいた。白いブラウスに透けて、腕が、更に白く逆光に沈んでる。象牙みたい。

「お姫様の名前なの、月の子」

「へえ」

 私は自分の返事が何の感情もないことに落胆した。それは綺麗だねも、似合うねも消えてしまってただの全てがどうでも良いようなプシュウと気の抜けた返事だった。金属の、硬質の音がどこかから聞こえた、それと歓声。真裏の運動場で野球部が練習している。なんだかそれは遠く、リアリティの欠片もなかった。

 ミカさんは帰ってくるとすぐ、予定があると言って行ってしまった。本当はこれからのスパングルの名古屋、大阪でのライブも行くつもりだったらしいのだが、バイトの都合でギリギリで駄目になっちゃってと笑っていた。水乃さんは相変わらずの笑顔のまま、ムーンライトながらの指定席券のキャンセルってどうやるんだっけ、と呟いていた。じゃあ私はつれを駅で拾わなきゃいけないんで、月子の顔を思い浮かべながら言うと、ではまたね、名古屋で、と水乃さんは元気良く手を振りながら改札の奥に消えていった。

 月子にさっきからメールを送っているのにちっとも帰ってこない。何処か圏外のところにでも居るのかと駅を出て少し歩いてみることにする。土地勘がないのであんまり離れないようにしようと思って居たが、いつの間にかよく解らない通りに出てしまった。大通りではあるし車もあるから、何とか駅まで帰ろうとまた歩き出したとき、視界の隅にちらりと白い車が走った。ああ、よくバンドが機材車に使っている車だなあ、確かハイエースっていうんだっけ、そんなことを考えながら見ていると道を折れこちらに向かってくる。多分あれが来た方がライブハウスだから、この道を真っ直ぐ行くと駅なのかなと思いながらも車は私の目前を通って行った。一瞬見えた車中の顔に見覚えがあった。スッピンまで格好いいーとはしゃぎながら月子が私に見せたエンデ麺の写メだった。あ、なんで居ないのよ、月子。惜しいなあと思いながら、少し呆気にとられて見上げる私の目に、次に映ったのは見慣れた細い腕だった。後部座席に屈むようにして居るのだろうか、顔や体は見えないが、細い腕と、ランダムに小さな鋲が取り付けられた変わったリストバンドは、月子のだった。ひらひらっと振られて、また見えなくなる。

 要はお持ち帰りされた、と言うことだろう。打ち上げかホテルかは知らないが。月子は確かに平均以上に可愛いが、食われたいとか言うような子じゃなかったのでとりあえずびっくりした後、なんだかよく解らないが絶望的な気分になった。

 

 

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3.どうしようか、と月子が言う。また夢だ、とそんな実感だけがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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