車の中は少し寒く、予想したとおりに暗かった。

「トーノさん、冷房ききすぎー!」

 ドアを開けるなり水乃さんは言う。

「人の車に乗せて貰ってそれかーい」

 無視するように言いながら冷房のスイッチを切る遠野さんは優しい。でも確かに、ちょっとぽっちゃりめでロリータとはいえきっちり着込んでいる遠野さんと細くてキャミソールの水乃さんでは体感温度は違うだろうと思える。アナーキーのサボは準備のいいことにキャリーからカーディガンを引っぱり出している。B.P.Nの黒カーデだった。

「じゃあ体力無いお姉さんは後ろで寝るから。君、助手席」

 そう言って水乃さんはさっさと横になってしまう。ご丁寧に隅に置かれたタオルケットを勝手に引きずり出してまるまっている。私が遠野さんなら腹が立つと思うが、彼女の表情からはそんな感情の一切が読めない。ただh.フリルのワンピースが逆光に浮くだけ。

「ごめんね」

 それでも似合うな、と思って見ているとふと口を開かれてどきっとする。何がですか、と言うと何故か笑われた。

「凄い今、訝しいって顔してたー。そんな顔久しぶりに見たー」

 あんまり今時言わない、それこそ久しぶりの表現を使われて、腹が立つというか面食らって黙っていると、このお姉さん色々引っ張り回すでしょう。迷惑被らなかった? と言われてそうか代わりに謝られたのかと合点が行った。何か音楽かけようか、と言われて、車に乗るのも久しぶりでぴんとこなくて黙っていると、後ろで水乃さんがフロッピー聞きたい。フロッピーかーけーてーとうわごとのように言う。

「テクノは眠くなるので却下」

あがた森魚

「眠くなるので以下略。それ以前にねえよそんなもん」

神歌ー!」

 サボのヴィジュアル系な叫びも、耳に着くからと言う理由と、やっぱりこの車には音源がないと言って却下される。

「じゃあなんか懐かしいかんじの奴」

「了解」

 遠野さんは白っぽいテープを取り出しデッキに突っ込んだ。テープなんて久しぶりに見ました、と言うと家族の車だから結構古いのね、と言う。親と同居じゃないんだけど、ま、こういうときには借りれるからいいよね、そんなことを喋っていると、後ろから水乃さんが、ま、オイラの専属アッシーってことですよ、なんて呟くように茶々を入れる、遠野さんはすかさず黙れと返す。そのやりとりがまるで芝居で笑ってしまう。

 テープの音楽になんだか聞き覚えがあるので考えているとシドだよ、と遠野さん。

「懐かしい感じで?」

「昭和歌謡な感じで」

 カリガリにグルグルに、メリーもあるよ、と言って片隅に積まれた数本のテープを指す。あと、スパングルももちろんあるけど。

「昭和歌謡好きなんですか?」

「昭和歌謡風、が好きなのかもね」

 じゃあ次はメリーを、ドライブにもきっと似合うからメリーを、とサボは後部座席でぼそぼそ言っている。水乃さんが寝転がっているので座席じゃない隙間にキャリーを置いてその上に座っている。狭くない? と訊くと狭いとこ好きですから、と言う。

 遠野さんは自嘲気味に歌謡風で、テクノ風で、文学風で? と、笑う。そしてふと後ろを振り返り鞄取ってと叫ぶように言った。水乃さんはおっくうそうに体を起こし、黒い水玉のある小さな鞄を引き寄せる。取って、と言われそれを受け取る。

「眼鏡、やっぱりいるわ」

 丁度信号が赤だったので、彼女は鞄から眼鏡ケースを取り出した。艶のあるフレームは、ミカさんの物とはまた違った透き通った赤で、信号の光にちょっと似ていた。

「寝ても良いよ。三時間かちょっと位で付くから」

 高速代、折半ねー、と後ろの席に向かって彼女は言う。あからさまに嫌そうな声が返ってきたが、きこえナーイと言ってさらにアクセルを踏み込む。

「未成年からも取るんですかー」

「酒呑んでたくせに。自分で稼いでる人からは取ります」

「はーい」

 どうも水乃さんは本当に疲れていたらしく、すぐ軽い寝息が聞こえてきた。

「面白いでしょ、彼女。本能のままで」

「はい、凄く」

 頷くと彼女は笑う。もうずっとかわんないんだもんなあと言って笑う。

「きっとね、水乃は真知さんのことが好きなんだよ」

「あーあー、解る解る」

「えー、止めて下さいよ」

 バンギャにありがちななんか、寂しさを埋めるために同性愛者を装うみたいな、そういうのなんか最近多くないですか? 私は勘弁して下さいよ。そんなことをぽつぽつ言うと遠野さんは本当に楽しそうに笑ってそんな話だったらある意味よかったんだけどねえ、と答える。

「あのねえ、昔、もう六年くらい前になるのかなあ。とても水乃と仲良しだった子が居てね。一寸似てるんだよ。あなたは」

 遠野さんの先の口調はなんだか重く張り詰めていてまるで、死人の話をするようなそんな雰囲気。

「今はもうそのひとバンギャじゃないんですか?」

「今はびっくり一児の母さ」

 それを訊いてなんだか安心した。口先だけなら何とでも言えるけれどやっぱりバンギャには死にたいと言う子が多いのも事実で、リストカッターなんか正直珍しくもない。リスカと自殺願望は別と月子は力説していたけれど、私にはどっちもどっちで傷が残るそんなことなんか可愛い女の子がやることでは無いと思っている。

「なんかさあ、お母さんと娘でバンド好きとか凄い良いよねー」

 いつのまにか遠野さんの話は緩やかに移ろっていく。

「この間さ、開演待ちしてるときに隊員さんの子と喋ってねえ。わっかいなーと思って年を訊いたら高校生って言われちゃって。お母さんとか心配しない? って訊いたらお母さんガーゴイラーだって」

「渋いですねえ。あ、終わったねCD」

「……メリー」

「うるさいな。あ、ねえ真知ちゃんってスパングル聞き始めて何年くらい?」

「えーっと、三年くらいですかね」

「じゃあ、これ知らないかな? 大サービス、聴かせてあげよう」

 隅に置かれたテープの中から、綺麗な絵が描かれた一枚を取り出す。なんだか見覚えのある絵だ、と思うと仄かな波のようなノイズの後にゆっくりした打ち込みの曲が流れ出す。

「スパングルの一番最初のデモテ、菫の子」

 今より、もう少しだけ芝居がかった、前時代的な歌い方。知りもしないのに、懐かしいと思う、不思議な声。これ、歌詞ね、と渡されたのは柔らかな風合いの薄い薄い紙に濃紺でプリントされた綺麗な、まるで手紙のような一葉。

 

 グラスを置くなら静かに置いて下さい

 耳の奥に詰まった鉱石の響きが痛いのです。

 笑うのなら声を出さずに微笑んで下さい

 頭の中にいつまでも反響して辛いのです。

 食卓に飾るなら菫にして下さい

 原色の薔薇がぼくの目を灼くのです。

 

 誰でも良いのです、助けてくれれば。

 それが駄目ならみんな死んでしまえばいい。

 ぼくが死ぬのも良いですけれど

 菫の代わりに飾ってくれるなら。

 

 ぼくの血が皿を満たして

 ヴァイオレットにナフキンを染めたら素敵。

 ぼくは菫の子ですから。

 いきを吸うのも辛いのです。

 本当は菫の子ですから。

 人に触れるのも辛いのです。

 

 流れていく、高速の照明は三日前の夜と同じ物のはずなのに、私の隣にいる人も、世界も、何もかもが変わってしまった。仕方ないかも知れないけれど、私は月子の方が良かった。月子は私の半分だった。塾で、どんな音楽きくのって、その台詞を聞いたときから半分だった。切り離せば血が滴るほどの半分だった。だけど今は裂かれて無い。

 関係ない話をしながらも、そう一度思ってしまうと頭の中は月子のことばっかりで、今日の空に月が見えないのもやけに腹立たしい気分になって。どうしようもないって、本当に。

「水乃さんの友達って、そんなに似てるんですか」

「うん、そうだねえ。全体的な雰囲気とか……、そんなに派手じゃないところとか。ああ、あとなんかやる気無さそうなところとかね」

 月子のことばかり考えていたからか、空にはいつのまにか異様に大きな月があった。一瞬後にはそれは月子の巨大な首になってにやりと笑った。曲面沿いに顔がデフォルメされたように歪んでいるのが気持ち悪くて、なんで私の幻覚はこうも毎回気分が悪い物ばかりなのだろうかと思う。漂白されたように白い巨大な月子の顔が歪んでその口からぱらぱらと虫の死骸をこぼす。

「私にもね、大事な子が居たんですよ」

 カップリングの悲しい歌が終わった。私は何となく、月子のことを話し出していた。中学校の事、塾であったこと。未だに顔も知らないお姉さんのこと。何となくだけピアノが弾けること。初めてロリータの格好をしてくるくる回って見せたこと。下妻物語が流行るずっと前、高校の冬休みに一緒に校則違反のバイトをして貯めたお金で彼女はロリータ服を買った。メタモルフォーゼのセットアップ。私はB.P.Nでコウモリ襟のマントと半ズボン。今では滅多に穿けないけれど大事にとってはある。私は服に着られている感はあったけれど、最近では余りしないゴスロリだって月子は似合った。初めてのロリのくせに手抜きも妥協も一切無しで、必死に厚底のワンストラップシューズを探して穿いた。

 月子のことなら幾らでも話せる。一つ一つ必死に言葉を寄って話す私は馬鹿に見えるだろうか。遠野さんは何も言わずに黙って聞いてくれた。ありがたかった。一つでも冷静な言葉を刺されれば私の全ては空気が抜けてぷしゅうとへこんでしまうに違いなかったから。いつのまにかまた、あるはずのない月が歪みだして、また妄想だなんて自分の目や脳味噌もいい加減にしてくれればいいのにと思っていると頬に違和感がある。触れてみると涙だった。泣いている実感なんて何もないのに涙がこぼれるのがなんだかおかしくて堪らなかった。

「好きなんだねえ、その、月子さんが」

 長い長い、そしてとりとめのない話が終わった。私の声は途中から嗚咽混じりできっととても聞きにくかったと思うが、それでも遠野さんもサボも静かに話を聞いてくれた。

 話し終わったときにちょうどまたテープが自動でがちゃんと裏返って、懐かしい歌がもう一度流れ出す。今の空気とその歌が計ったように精巧に合わさるので、私はなんだか泣きそうになる。

 誰も何も言わなくなった。車だけが静かに何処までも走っていく。夜が重い、車の中の空気は酷く冷えていて、私はまるで冷たい水の中に沈められたように動けない。何処までも何処までも走って行けたらいいと思った。目前の道路はねじくれて跳ね上がる、高架はいつのまにか空の向こうへ。古いアニメの線路みたい、その先には何もなくって。真っ暗だ、真っ暗だよ。私の意識を、段々黒いつぶつぶが覆っていく。あ、貧血だ、とそう思うとなんだか目を開けているのも辛くなって、瞼を落とした。

「着いたよ」

 遠野さんが言うのでまだ重い瞼を無理矢理こじ開けると真っ暗だった。自分はまたどうしようもない妄想の中にいるのかと思ったがどうもそうでもないらしい。目が慣れてくるとまともな住宅街のまともなマンションの前に車が止まっているのだとちゃんと理解できた。彼女が人差し指を口の前に当てて静かにねのジェスチャーをするので私は黙って車を降りる。夏の夜の、植物のにおいを孕んだ温い空気に急に晒されて、目眩がする。ふと、このまま急にドアが閉まって何処だかもよく解らない町にしかも一人で残されたらどうしようと思ったけれど、そんなことはなかった。車からは続いてサボと水乃さんが降りてくる。水乃さんはまだ寝ぼけ眼だ。

「ちょっと駐車場遠いから、先上がっといて。サンマルゴ」

 何故かホテルのキーの様な赤い透明な棒の着いた鍵を渡されて、遠野さんはまた車に乗って行ってしまった。

「あがる?」

「うん」

疲れているのか流石にサボも怠そうで。私はさっきから、妄想とは違うもっと躯の軸がよじれたような感じを抱えて途方に暮れている。

 三階の隅っこの部屋は、どうにも生活感のない部屋だった。さっきから調子が悪いと思っていたら、やっぱり生理になっていた。なんだかあてどなくむかついた。世界中の調子悪いが勢い着いて降りかかってきたかと思うくらい気分が悪くなった。

「生理中は、男子が羨ましいと思うよね」

 真新しいナプキンの外袋を破りながら、遠野さんが言う。私はとりあえず床に敷かれっぱなしのマットの上を借りて眠ることばかり考えていた。

 

 

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5.車の中は少し寒く、予想したとおりに暗かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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