「いい天気だね。本当に日曜日の朝って感じ」

 水乃さんの脳天気な声で目が覚めた。何とかまた目を開くことが出来たと安堵する。ベランダに出るための大きめの窓からは朝日がハイテンションに射し込んできて、どうしようもなく途方に暮れた。

 夏休み中は曜日感覚さえ消え失せる。もく、きん、ど、にち、と言ってみて、もうそんなにライブを見続けたのか、と頭が煮えそうになる。

「我ながら無茶な生活してるわよねえ」

 水乃さんが呟くように言う。派遣とは言え仕事をしている彼女は、仕事帰りライブに行く生活を二日したあげく、そのまま電車と車を乗り継いでとうとう大阪まで来ていると言う話になる。流石に帰りは新幹線使うけどね、と笑う。

「いやあ、職場が都内でマジよかった。山手線とか通ってて超よかった」

「都会だよね、水乃さんとこは」

「そういえばサボって何の仕事してるんだっけ」

 女の子四人で、地べたに座ったままパンと牛乳の朝食。蜂蜜マーガリンと言葉だけが行ったり来たりするのんびりした食事だった。夏の温い空気が、網戸越しの風になって緩く赤と黄色の細かい水玉のあるカーテンを揺らしていた。

「ああ、言ってなかったですか。いわゆる水ですわー、ホステスっつーか。顔これですけど、盛り上げ系で結構人気」

「ええっ、そうなんだ。若いのに大変だねえ」

「そうでもないですよー。ただ将来の夢とか希望とか全然ないんで、お金くらい貯めようかなーと」

 話の内容は重そうなのに、話している本人達の口振りはあくまで軽く、なんだかバンギャは全部をネタにしようとするよなあとそんな特に関係なさそうなことを考えていた。その後のだらだらした会話の中で、遠野さんが実は公務員な事を知った。派遣とお水と公務員と大学生という、意味の分からない取り合わせが、なんだかとてもさわやかな朝に不釣り合いのように思えた。話はどんどんずれてきていて、サボの名前の由来なんて本気でどうでも良いことになっていた。

「サボってさあ、何でサボなの?」

「は?」

「そうだねえ」

「普通バンギャって難しい漢字じゃない? そういうペンネームっぽい名前。なんでサボはサボなの?」

 サボは吹き出してゲラゲラ笑いだした。だって水乃さん真顔なんだもんおかしいなと言ってずっと笑っている。本気で気になっていたから訊いたのに、と水乃さんは拗ねる。

「いやいやどうでも良い理由なのよ、あのね、私も中高生のころはアイタタでした。ハジュって名前をつけてたのね! 制覇のハに植物ほうのジュね。でね、サボテンって日本語だと覇王樹って言うらしくってね、それをたまたま当時通ってたバンドの麺に指摘されてね、打ち上げで! もう爆笑。それからずっと私はサボテンなの。いいんだ、小さいけど可愛い花も咲くしさ」

 

 食事の後、遠野さんが車を親の家まで返しに行かなければいけない、と言うので私とサボでとりあえず大阪まで出ることにした。駅まで車で送って貰って、二人と別れた。水乃さんはどうやら遠野さんのお母さんを知っているらしく、なんだか久しぶりだといって浮かれていた。私は実家に帰ろうかどうしようか一寸迷ってやめておいた。まだ広島のライブにも行くつもりだったし、家に帰ったらばったり倒れてぐうぐうと寝てしまいそうな気がしたからだ。

 電車で大阪まで三十分ほどだった。心斎橋で服が見たいとサボが言い出したのでとりあえず行くことにする。何軒も何軒も連れ回されて、地元であるというのにこんなに沢山の服屋があったのかと驚くほどだった。アウアアの入り口が狭いのはねー、ここを通れないデブスははいってくんなって事なんだよー、変な節回しで言うサボは完全に嘘を付いている笑い方をしている。

 なぜかヴィレッジヴァンガードまで連れてこられて、なんとなく小物を見ていた。サボは市松柄の雑貨を楽しそうに引っかき回している。

「嫌いじゃないだけどさあ、ビレバンって何処も同じだよね」

そしてどこに行ってもバンギャが居るよね、そういうとサボは笑って、コーラってどこで飲んでも大体同じ味だけど、でも飲みたくなるよね。そんなもんじゃないの? と言った。

 私達はコーラを飲みにモスに行った。モスは高いなあと言うと、稼いでいる私が奢りましょうと笑う。流石に年下の子に奢られるのは嫌だから丁重に辞退すると、じゃ、また今度ね、などと言われてしまう。

「いや、ホント小銭持ってるんですよ。殆ど貯金してますけど」

「えーでも、なんか」

「水商売やってる子はいやですか?」

「そんなんじゃないよ! 違うんだけど」

「えー?」

「違うんだけど……、躯には気をつけてね」

 沢山言いたいことはあるはずなのに、巧く言葉に出来ないのが嫌だった。せいぜい言えることといえばその位で、酷くとんちんかんなことを言ってしまっているはずなのに彼女は笑ってうん気をつけるよと言ってくれた。

「真知さんは優しいねえ」

 なんだか逆に申し訳ないような気分になる。サボの目は透明だ、白目の底が青く透き通っていてまるで子供のそれのようにも見えた。その目を見ていると私はふと、地元にあるお店のことを思い出した。

「開場まで大分時間があるね、歩いて十分くらいかかるけど私の地元に良い店があるんだ、行く?」

 ぽつんと言った言葉に素直にサボは反応する。にこっと笑った頬にえくぼが出来ることを私は知った。暫く歩いているとなんだか鼻の頭に冷たい水滴が一滴。幻覚かと思ったけどどうも夕立みたいだった。未だ昼間なのにね、と私達は顔を見合わせて笑う。お店について暫くしたころには、なんだか強くなってきて、本降りになる前に店に入れてよかったね、とまた彼女は笑った。

 お店は古い建物を改装して雑貨屋や喫茶店が入っている一寸不思議な所だった。私の実家まではここからまた数分歩いたところになる。心斎橋までそんなに近いというといろんな人が羨ましがるが、私にはそれが普通なので逆にそうでない生活がよく解らない。奥にある喫茶店の、小さな庭の見える席に陣取ってベトナム式の練乳入りコーヒーを注文する。サボはメニューを矯めつ眇めつして、結局小さな声で、ほうじ茶、と言った。

 ベトナム式コーヒーは豆がアルミの容器に入ってコップの上にかかっている。一日何円のドリップ式インスタントが金属になっている様な物で、持ち上げたときになんだか凄く軽いのが逆に愛おしい。

「なんだかいいところですね」

「そうかな」

 真知さんが自分からどこかに行こう、って言い出すのはじめてだったから、ちょっとびっくりしたですよ。そんな風に言って彼女はフフッて笑った。そこだけ年相応の可愛い感じだった。雨はもう大分緩くなってきていて、開場までの良い時間には止みそうな雰囲気だった。さあさあという悲しい雨に打たれて庭の好き放題の緑は少し沈んで見える。ほうじ茶は小さな急須から自分でお茶をいれるタイプで、幾ら飲んでも無くならないようなそんな気がした。

 こんな時が永遠に続けばいいと思った。バンドのことも月子のことも全部忘れて、一週間前には知りもしなかった人とお茶を飲んでいられればいいと思った。でも彼女との付き合いもやっぱりバンドがきっかけで、月子がここにいないのもバンドのせいで、私の全てはバンドに与えられていて奪われているようなそんな気がしてしまう。

「あ、そろそろ入り待ちしたいから行きたいなー。もう遅いかな」

 そしてやっぱり、席を立つ原因もバンド。

 

  ライブハウスの前には既に少女達が沢山沢山居た。今日のライブもまた訳の分からない対バンなので、少女達の雰囲気もまたばらばらだった。痩せている子、太っている子、綺麗にメイクをした子、スッピンの子。柔らかなピンク色のスーツの子、ギャルの子、黒の裾を引きずる子、制服の子。目眩がするほど沢山の女の子達。

 サボはセーラー服の女の子とさっきから親しげに喋っている。話の内容はやっぱり誰かはファンと付き合っているとか、誰かは実は既婚だとか、そんな話で。楽しそうだなあと思って見ている。似たような白いバンが二台ほどライブハウスの前に留まっていて、狭い道なのにいいのかなあと思ってしまう。偶にメンバーやローディが車に戻って何か荷物を取り足すたびに、少女達が騒ぐのでどこにどのバンドのファンが固まっているのかだいたいわかってしまった。どこか別の所に車を止めているバンドもあるらしく、金色の髪にピンクのエクステなんていう男の人が通りの向こうの方から荷物を抱えててくてくと歩いてくるのが日常から完全に遊離していておかしい。

 バンドマン達が姿を見せなくなったけれど、サボはどうも人気者みたいでいろんな人に手を振られたり話し掛けられたりしている。ぼんやりと横で話を聞いているのも別に退屈しないから良いのだが、それでもすこし暇だなあと思ったころに列が出来だした。私のチケット整理番号は五十番ちょうどで、解りやすくていいや、とそのまま並ぶ。キャリーからライブ用のシザーケースを取り出し、携帯や財布を入れていく。サボは猫の顔のポーチにいそいそと携帯をしまっていた。赤いラインストーンをとにかく沢山貼った携帯はきらきら眩しく輝いていた。水乃さんと遠野さんも大分遅れてだが、なんとか開場前には間に合った。遠野ママ、久しぶりにあったらまだ私を二十歳扱いするんねー、と言って笑う。

 入場してしまうと特にやることもないのでキャリーを置いた隅っこに荷物にまみれて座ってみる。サボや水乃さん達はとっとと最前交渉に行ってしまった。熱心だなあと思うが、そもそもバンド予約で入っておきながらぼんやり床に座っている私がおかしいんじゃないかとも思う。

 ライブが始まった、オープニングアクトは名前だけは聞いたことのあるバンドだった。特になにも思わなかった。

 物販でも見に行こうと思って荷物を水乃さんに頼んで立ち上がった。シザーケースを腰に巻くのも怠く左手に引っかけたままにする。物販には特に目新しい物はなかった。どこかのバンドのステッカーがやけに可愛いのが目を引いたけれど、今更ステッカーをどこに貼れば良いんだろうか、昔ならボックスがあっただろうけど。

 ライブハウスはそこそこ込んでいて動きづらい。とりあえず空いている空間沿いに動いてみると逆方向の壁にしか行けそうになかった。ふと見ると座っている影に見覚えがあった。私はシザーケースを左手に持ったまま、右手でそっとその頭に触れた、茶色い、ふわふわした、優しく柔らかい髪の毛。薄暗いライブハウスで、私は魚を捕まえた。彼女のキャミソールはきらきら光るビーズの刺繍で、鱗みたいだった。目尻から、たくさんたくさん真珠のような涙がこぼれていた。

 山積みにされた誰の物とも知れない荷物の横で、彼女は確かに魚に似ていた。ステージに掲げられた、薄い膜が後ろから明るく明るく光に照らされ、人の姿が浮き上がって歓声が上がった。オープニングアクトはたしか名前は聞いたことのあるバンドだった。少し高い声で、少しへたくそな歌が聞こえる。

「心配、した」

「ごめん」

 俯く目の色は、カラーコンタクトで青緑。静かな南国の海みたいだと思った。凪いだ透き通る、白い砂浜。オンザビーチ、声に出さずに言ってみた、月子の好きな、エンデの歌。砂浜の上、何が有るんだろう。白い砂の上、凪いだ海、青緑の海、月子の羽織った白いガーゼのシャツは中途半端な袖丈で彼女の腕の細さを強調する。

 腹が立った。

 私も楽しいと言える旅行だったくせに、水乃さんや遠野さんやサボと遊んでいたくせに月子に無性に腹が立った。幕が開いて、歓声はさらに大きくなった、早いドラムにギターが被さって、場内で爆発した。私は彼女の頬を、持ったままのシザーケースで彼女を思い切り殴っていた。そんなことはしたくなかった。彼女を殴る理由なんて何一つ無かったし、私にそんな権利はなかった。月子は泣きやまない。水がいつの間にか踝まで来ていて、私は現実が綻びかけていることを知った。声のない一瞬の涙は確かに美しかったが、すぐさまそれは鼻水を啜る音と甘い嗚咽の声にすり替わる。吐き気を催しながら抱き締める、細い体からは甘い匂いがしていて、それは彼女がいつも使っている赤いハート型の瓶の香水の匂いだったが、髪の奥に煙草の匂いがして、悲しくなった。

 これは、恋ではないのだけれど。それでも悲しかった。

 その後のライブ中はずっと手を繋いだまま見ていた。スパングルが出ても、エンデが出ても手を繋いだままだった。アンコールがかかり、演奏が行われ、客電が付いても手を繋いだままでいた。繋いでいない方の手で私はだらりとシザーケースを持ち続け、月子は顔や口元に手をやっていた。ライブハウスは涙に満たされ、ステージの上の全てのライトは水越しにきらきら輝き続けた。逆ダイやフリや咲きで集団が動くたび、水はゆっくり、ゆっくり揺れた。水中のくせに苦しくもなかった、だって幻だから、妄想だから。

 私達は小声で話をした。ステージの上から響く音に声は消されがちだったけど、伝わっていないことが逆に変に安心を感じさせる。月子はもうずっとその人と付き合っていると言った、数日前バイト後に泊まりに行ったのも彼の家だと言う。

「私のこと、嫌いになった?」

 そんなことを訊くので、とりあえずううん、と言っておいた。

 終演し会場の外へのドアが開かれると徐々に水は抜けていった。お互い別々の知り合いが横を擦り抜けていって、笑いかける人や軽く会釈をしてくれる人も居たけれど、私達は根でも生えたかのように動けないでいた。水乃さんは複雑そうな笑みを浮かべて、じゃあまたね、と言って会場の外に出ていった。人があらかた出ていって、場内に数えるほどしかいなくなった。

 ライブハウスのスタッフが、早く帰れと言うようなことを、やたらと丁寧な口調で叫んでいる。私達は手を繋いだまま荷物を拾い、階段を下りた。外に出るとやっぱり熱気のこもった大阪の夜で、繁華街のネオンが馬鹿みたいにたくさん点いている。

 手を離そうとそっと力を抜くと、なんの抵抗もなく彼女は寧ろ自分で手を引いた。

「行くの?」

「うん」

 あの人、待ってるし。先ホテル行く。あの人、と言うのが多分バンドマンなのが嫌だった、バンギャが麺をそんな風に呼ぶのがなんだか笑えた。月子は一人で、だけど背筋を伸ばして道を歩いていった、どこかの角で曲がって彼女の姿が見えなくなったとき、私は泣いた。地面が一気に波打ち、ネオンの光は鋭く炸裂した。

 通りすがる人たちが私を変な目で見ていることに気が付いて、とりあえず私は必死で涙をこらえ、痙攣する腹の底を押さえようと苦労する。どこにも行くところがない、と思ってから少し笑ってしまった。ここは日本で二番目の都市だ、どこでだってご飯は食べれるし眠れるや。キャリーを引っ張り歩き出す、でこぼこの地面の上でひっかかって跳ねてそれでも一歩一歩確かに。下を向いていた顔を上げ、道路のはしっこを睨む。

 透き通った目で、見返された。

 小柄な男性が、こっちを見ている。黒髪の、見慣れたTシャツを着た。スパングルの、晶彦。うたうひと、きれいなひと。私に何もかもをくれて何もかもを奪った人。よく見知った人、全く知らない人。幻覚が続いているのか、それともこれも現実なのか、解らないけれど舞台の上と変わらず綺麗だった。唇が百万の言葉を孕んで結ばれている。どうか歌を、歌ってくれないかとそんなことを思うけれど、誰かに呼ばれて、きびすを返して車に乗り込む。

「……待って!」

 右足半分車に乗り込んで、律儀に静止してみせる。振り返った顔は街灯のせいで不思議な陰影。

「ファンです。広島も行きますがんばってください」

 言いたいことは沢山あるはずなのに、口から取り出すのはそれくらいで精一杯で、彼はにこやかに笑って手を振って乗り込んだ、完全な営業スマイルに目眩がする。

 漫画喫茶で時間を潰して朝方のJRに乗り込んだ。車窓から見える電線の上下がまるで波のよう、電車は海中と水上を行ったり来たり。浮かんで、沈んで、底のほう。水は澄んでどこまでも見渡せる、私は相変わらず幻覚を見続けている。

 広島の駅から町へ、道路は相変わらず斜めに歪みっぱなし。私はふと、この幻覚だけが実は本当のことで、後は全部嘘なんじゃないかという気がした。私がスパングルを好きなことも、ここに月子が居ないことも、スミレコのみんなの存在もみんなみんな嘘なんじゃないかと思った。でもとにかくライブハウスに行こう。難しいことはそれから考えよう。

 

 

 

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 6.「いい天気だね。本当に日曜日の朝って感じ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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