高速バスのカーテンの隙間、窓の外から漏れてくる灯りはなぜか透き通った緑色だ。ミッシェルガンエレファントの真似をして名前でも付けてやろうかと思ったけれど、その一つ一つを個別に認識する前に彼等は後ろに流れていくので難しい。

 横に座っている月子のあたまが私の肩に当たっている。頭蓋骨の気配が重い、髪越しに感ずる人の存在も重い。二つに結わえた髪に引っ張られて分け目がすっとそれを二分している、皮膚の張っている不思議さと生えている髪が裏側に蔓延る不思議さ。白の中から力強く生える黒。さっきから煩いと思っていたのだけれど、耳に引っかけるタイプのイヤフォンからは微かに耳慣れた音楽が聞こえてくる。そうだよねえ、と呟く。頭のなかで。私達バンギャだからヴィジュアル系だよねえ、でもなんかミッシェル好き多いよね、何でだろうね。あとバックホーンシロップ好きも多いよね。でもバスで聞くべきはヴィジュアル系だよねえ、ヘドバン逆ダイでぐちゃぐちゃになりにこんな狭いバスなんかにキュウと乗ってるんだものね、と思う。

 八月の高速道路はこんな真夜中でも結構な交通量らしく頻繁に乗用車やトラックとすれ違う。あの中にそれぞれ人が居てそれぞれの事情でこんな所を走っているということを考えるとぞっとする。それはこの車内でも同じ事で二階建て四列の座席が詰め込まれた、まるで走る蜂の巣やカプセルホテルみたいなそんなバス。いつか読んだSF小説のことを思い出した、積み重ねられたプラスチックのコフイン。なんであんなもの読んだんだっけと考えて、確かカリガリのソロの時、秀仁さんのバンド名の由来がそれだったんだよな、と要らないヴィジュアル系トリビアに耽る。

 一体この夏にどれだけの人が東京に行くのだろうか。コミケとかもあるから凄いことになってるんじゃないかと言うのは何となく解る。私はオタクではないけれど横で眠る月子は微妙に気質を持っている。彼女に言わせるとニッポンの経済はオタクが動かしてるんだそうだ。そのことに別に何を言う気にもならないけれど、そこにバンギャも入れて欲しいと思う。

 バンギャというのも上手い言葉だ、なにせ語呂が良い。ヴィジュアル系バンド好きなギャルでバンギャ、分かりやすい話だ。惜しむらくは普通の人に全然普及してないところ。説明も面倒くさいので「追っかけだよ」と言う事にしているが、どちらかというと気質の話になるんじゃないかと思う。一学年に一人から数十名、必ず居る女子の一種。黒い服を着て、黒いアイラインを引いて、厚底靴を履く。まあ、そうでない子もいるけれど。私も月子もバンギャだ、月子の足先はミホマツの紐がいっぱい掛かった黒の靴で、私の足先は黒のラバーソールで、お互い靴下はしましま。笑ってしまうな、ベタベタだ。

 月子が怠そうに体勢を変えた。浅い眠りなのだろう、睫が揺れて緑に染まった頬に影を落とす。バス配給の毛布はらくだ色でのんびりと彼女の上にかかっている、それは本当にのんきな景色だ。安いバス用に作られたのだろうか、それは彼女が丸まろうとするにはあまりにも小さい。らくだの毛布か、と思う。緑の光が、月の光だったらいいのに。向かっているのは東京砂漠だし。

 咽が渇いたが、据え付けの小さなテーブルに置かれた紙パックのアンニンミルクティーは空っぽ。車中は冷房で寒いからと見くびっていたのが裏目に出た。空気が乾燥しているので、目を覚ましてしまうとやたらに目や咽が渇く。確か頭上の荷物置き場の鞄の中に、まだ未開封のペットボトルが突っ込んであったと思う。月子の頭を押しのけて、立ち上がる。五列、目前に人の頭。そしてカーテン。マジックテープで留められたカーテンは見事に外界とバスとを遮断していたが、多分、ゆっくりランプが渦巻いているはずだ。大阪から東京への、安価且つまともな夜行バス。夏休みは満員。そりゃそうだ、片道四千八百円、しかも寝てれば着くんだから。

 すやすやと眠る月子を疎ましく、思う。別に私だって不眠症というわけではない。普通の神経を持った人間はなかなかバスで熟睡出来る物ではないと思う。私を普通と呼べるのかは少し疑問だが。妙な妄想癖があったことはある、自分の意志とは別に世界が歪む経験をしたことがある。月子に言わせるとそれはバッドトリップに良く似ているらしい。彼女か何かそういう薬をやっているとは知らなかったよというと、バッカ例えよと怒られた。とにかく今は、そんな経験はない。

 少しなら眠れるがすぐに目は冴えてしまう。またうとうとして、そして起きて。水面すれすれを飛ぶ飛行機のようだ。ほら、翼が、飛んで、水の上。比翼が切り裂く水面の白いライン。灰色を、叩いて、眠って、沈んで、浮き上がって、飛ばされて。眠りなよって、沈んで、また、夢の中。

 

 なんだかプラスティックトゥリーの歌詞みたいだな。

 

 灰色のぼつぼつとした細切れの眠りは、悪夢と相場が決まっているようで、私はバスの中で見た夢にろくな想い出がない。大体が昔のことだ。中学生の頃くらいの、嫌な想い出が重い蓋をなんとがギリギリ持ち上げてやってくる。手を伸ばし私を飲み込もうとする。

 私は妄想癖のある子供だった。小さい頃はイメージによく捕らわれていた。今はもうそんな事はない、最後にそんな白昼夢をみたのは十四歳だった。今日の夢はその夢だった。舞台は当時行っていた中学校の校庭。私は制服、緑色じみた灰色という絶望的なジャケットと細かい細かい千鳥柄のスカート、中途半端な大きさのリボンを首に巻いている。そうだこれは確か首周りがゴム製で大嫌いだった。どうせなら一本の細い布リボンにしてくれれば少しは好きになれたかも知れない。リボンは黒かった。そこだけ現実と違っていて、私はああこれは夢なんだと思った。懐かしいとは言い難い嫌な想い出の中のリボンは、趣味の悪い赤紫だった。じゃあ一本のリボンなんだろうかと指を襟元に突っ込んでみたが、ざらつく手触りが伝わってきて、やっぱりゴムなんだと嫌な気分になった。

 空は晴れている、私は校庭に座り込んでいる。無理矢理引っぱり出された昼休みだ、いつもは教室で本を読んでいるか、寝ている。このころは音楽をあんまり聴いていなかった。太陽は馬鹿のように明るい。乾いた土からの照り返しで白い地面に影が焼けつきそうだ。咽が乾いている。足下に転がるボールが、気が抜けたような薄汚れた白で地面と同化している。熱い。私が着ているのは冬服なのに。ほんとは何時だったか、思い出そうと思ってもよく解らないのだ。

「あー」

 なんの意味もなく、声が出た。肺を潰して漏れた空気が声帯を震わせて青空に消えていく。変にくぐもった声で、おかしいなと思って口に手をやると指先が濡れた。見ると赤い、鼻血かあと冷静な頭で思った。注意をすればそこら辺、ボールも地面も点々と赤かった。私の回りに沢山人間が居た。ぐるりと辺りを囲むように立っている、手持ち無沙汰に。教師命令で無理矢理友達の居ない可哀想な子を、つまり私を、昼休みの校庭に連れだし、クラスの大半が興じるドッヂボールの輪にほおりこみ、思い切り顔面にボールを当ててしまって途方に暮れている。

「鈍いんでさ、悪いね。ごめんね」

 状況を何とか打破しようととりあえず謝る。血が、手の隙間から地面に落ちた。なかなか止まらない。熱い、と思った。

 どんどん血は流れていって、いつの間にか私の周りは赤い水たまりになる。これは夢だし、このころの私には幻覚はいつものことなので、落ち着いている。広がっていく血に触れる同級生達はさらさらと崩れて赤い液の中に混ざり込み、ああ、そういやエヴァンゲリオンにこういう赤い水でてきたなあと中学生の頭でぼんやり考える。あれは、透き通っていたどさ。赤い水は増え続ける、いつの間にか鼻血は止まっている。どこまでも水は広がっていく、嵩を増して、何時の間にか座り込む私の足も太股も、腰までも来てしまっている。

 もう私の周りには誰もいなかった、校舎や校庭を囲むフェンスですら血の中に溶けてしまっているようだった。このままここで死ぬのだ、私は溺れて死ぬのだ。私の血に、嫌いな人たちの間に、校舎に、世界に、私自身の妄想に溶けて死ぬのだ。そう思った。目を閉じた、開いた、相変わらず世界は赤かった。もう一回、閉じた。死ぬと思った。

 開けたら白かった。驚いて跳ね起きた、起きる、と言う行動に心当たりが無くて変な気分になった、私は寝ても倒れてもない。辺りを見渡すと、見慣れた保健室だった。

 妄想の中途半端さにはいつもいらいらする。どうせなら殺せと思う。携帯が鳴る。ポケットの中から引っぱり出す。貧相な、単色の画面がオレンジに光っている。ああ、そうだ、夢なんだよ。私は自分に言い聞かし、メールを開く。目を開く。

 

 車内は明るかった。バスの中ではろくな夢を見ないな、小声で言うと、そうだね、と横で月子が笑っていた。

「なんかへんな夢見ちゃってさあ」

「どんなん?」

「バイト、あ、スーパーね。レジ何時も通りやってるんだけど、なんかでっかい商品持ってこられちゃってね。カゴからなんか棒みたいなのがたくさんはみ出してて他にも色々山積みで、途方に暮れるという」

「なんか大変だねえ」

「うん、びびったー」

 そんなことを言いながら、月子は楽しそうに笑っている。化粧をしていない顔を見るのは久しぶりかも知れない。後少しでもう新宿に着くよ、と言う顔には眉毛が無くて。

 月子と私が好きなバンドは違うバンドで、しかもジャンル違いと言っても良さそうな位のバンドだったが、今回、なぜか対バンが何カ所か重なったので、もうなかなかこういうこともできないだろうと大学二回の夏休みだがおっかけツアーのようなものに二人で行くことにした。ちなみに月子が好きなのは若手のコテで、確か名前はエンデ。私が好きなのは地下室系※で、ひねくれた歌詞を書く人たち、スパングルという。

 バスはもう新宿へ着いた。月子は出身こそ私と同じ大阪だが、こちらの専門学校へ通っているため今は恵比寿に住んでいる。それなりに早い時間だというのにJRは結構な混雑具合で、今が何時なのかそれすらも、よく解らなくなってしまう。

 携帯を改めると、バンドマンの写真の手前に小さな時計がちかちかと、未だ七時前の数字を晴れやかに示していた。山手線は案外早く私達を恵比寿に運んだ。月子の家を目指す道の途中でちらりと見えた建物に何となく見覚えがあった。そういえばリキッドルームが近いんだった。なかなか行く機会がないけれど耳慣れた名前に、少し笑いたくなる。

「なに笑ってんの」

「リキッドルーム近過ぎだなとおもってさあ」

ギルティも近いよ。この道少し行ったトコ」

 また偶に聴く名前を出して彼女は道の向こうの方をその白い指で指す。

「ライブ行きやすそうだね」

「そうでもないよ、リキッドなんかそうそうやらないじゃん。ギルティーもジャンル違いっちゃジャンル違いだし」

 明け方の東京はすがすがしいとは言えない空気で、水分過多に粘り着く。白い半袖のTシャツから、夏の植物の様に伸びた月子の腕は美しい。普段は装飾的な服を着るのに、バスの時は随分軽装だ。寝にくいの、と言っていたことを思い出す。二重に重ねたパニエは、確かに座るのには向かない。

 コンビニでサラダやパンを買い込んで、学生用アパートの一室に滑り込む。随分狭いその部屋は、ロフトベッドと小さな机にほぼ占領されていて、玄関入ってすぐの作りつけの冷蔵庫やちいさなキッチンもキュウと収まっている。ごちゃごちゃと物の多い部屋は、窒息しそうなそんな気分にすらなる。少ない面積の壁をふさぐように机が置かれ、ベッドの下のスペースはオイスターグレーと橙のロッカーが交互に置かれ、上の空間はヴィジュアル系バンドのポスターで占められていた。

 その辺に座ってー、なんてそんなことを言われても、雑誌やCDや服が適当に積まれ、どれから移動させて良いのか、よく解らなかった。

「とりあえずシャワーかかりますよ」

 のそのそとタオルをベッド下の収納から引っぱり出しながら月子は言う。とりあえず雑誌を机の上に置かせて貰うとスペースは出来た。ベランダに通じる窓の縁に腰掛けて、バスルームから聞こえる水音を聴くともなしに聞いていると、またいつの間にか眠ってしまっていた。

 今度は夢も見なかった。

 頬に冷たい物が当たっている。無理矢理目をこじ開けると月子が笑っていた、変な体勢で、フローリングの上に寝てしまっていたのでどうにも躯が痛い。冷たいのは紙パック入りの野菜ジュースだった。彼女は気の抜けたTシャツとハーフパンツではなく、セーラーカラーの黒いシャツと、赤と黒の柔らかな布が重なった非対称のスカートを穿いている。

「私、今日バイト入っちゃってさ。行くね」

 私が寝起きのぼんやりさで曖昧な返事を返すと、彼女は随分大人びた顔でクスリと笑った。いつからこんな風に笑うようになったのか、考えてみてもまだ眠たい頭は霞が掛かったようなもので、特に何も思い出せない。

「これ、合い鍵。今日帰ってくるの?」

「多分、呑んでる」

ワンマンだもんね。じゃあね」

 正しくはワンマンじゃなくてツーマン、と言いそうになって、そんなことには別に興味がないだろうから黙る。月子が好きなのはどちらかというとコテオサ系のバンドだから、私が好きな、よく「独特の世界観を持った」と言われるような人たちにはさして興味がないのだろう。

 私と月子は、同じバンギャなのだが、好きなバンドは同じではない。もともとバンギャというのがビジュアル系好きな女の子、と言うだけでどんなバンドだって……、例えばエナメルに半ズボンに黒いファーでエクステつけて、みたいな雑誌を捲ればいる、ヴィジュアル系らしいヴィジュアル系、というバンドから、スーツでメイク薄めで爽やかラブソングな人たち。ポップでキッチュで明るいテンションのバンドから、果てはなんとも言えない変な曲に小難しい歌詞に顔面真っ白に塗ったりして学生服や軍服、という説明しにくいバンドまで全部ビジュアル系だし、ファンの女の子はバンギャだからだ。

 今日のライブは私の好きなバンド、「スパングル」と普段仲がいいと言われる「昭和百年」のツーマンライブだった。初めは月子も誘ったのだがどうにもバイトが休めずに駄目になった。ある意味良かったのかも知れない、私にもスパングルを見に行けば会う友達が居る。もう少し経ったら、彼女たちと会うために行かなくてはいけない。

 

 

 

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.高速バスのカーテンの隙間、窓の外から漏れてくる灯りはなぜか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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