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  不可視の蝶

 

 僕は昔、祖母の家に行くのが好きだった。

 

 祖母の家まで三時間くらいかかる。町まで電車で、あとはバスで行く。周りは山で、緑色の中にへばりつくようにちまちまと家が百何件かあるくらいの、小さい町だった。僕は夏休みの間十何日かくらいそこにいて、ここだけで会う友達と一緒に毎日川で泳いだり、缶蹴りをしたりしていた。
 ある日、そういう友達の家でゲームをしていると、ふと誰かが川の近くにある一軒家の話をし出した。
「あそこには、ばけもんがおるって。母さんがいっとった。」
やっぱり友達のミナミが、きゅっと前を向いてそんなことを言うとた。そんな噂を別の誰かが笑うと、ここの子のシュウが「でも、あそこに住んでる人。おかしい」と云う。そのとき僕は、そんな話はすぐに忘れて、その後はいつものように 川に泳ぎに行くことにした、噂の家はすぐ近くにあって、飛び込みをするときに登る木から家の中が少し見えた。古そうな、木で出来た平屋だった。少し、おばあちゃんちに似ている。

 僕はその家を探検してやろうと思っていた。そしてその機会は案外早くやってきた、なんだか暑い夜にふと目を覚ますことが出来たのだった。いつもはこんな事はない、毎日毎日ぶっ倒れるまで遊んでいるから。そんなことを考えながら、川まで走った。空気は暗く澱んでいて、水のにおいがした。家は相変わらず古びていて、庭の草木は枯れていた。僕はこっそりと垣根の間の隙間からしのびこんで、縁側の障子に手をかけようとしたとき、いきなり後ろから冷たい手が僕のパジャマの肩に触れた。息が止まるかと思った。窓の向こうに一匹の蝶の死骸が見える。ぴったり十秒数えてみて、まだ手が僕の肩にあることを確認してからぎこちなく振り返ると、手の持ち主である人が僕のことをぼんやりとした目で見ていた。思わず、足があるかチェックした。細い棒っきれみたいな足が、黒いズボンに包まれてあった。どうしてか裸足なせいで白い足の甲が浮いて見えた。少し安心。
「何か、用事ですか」
言葉も普通で、さらに安心した。しかしこんなところで化け物屋敷の散策に来ましたなんて云ったら駄目だよなぁなんて考えて、出てきた言葉は。「あ、道に迷っちゃって・・・」こんな時間には駄目だったかなぁなんて思っていると、その人はちょっと笑うと眠たそうな声で云った。
「化け物屋敷の探検に来たのは君が始めてじゃないよ。」
ばれてる。
冴え冴えとした月の明かりに照らされて、幽かに紅を引いたような唇が笑っていた。

 その人は「あさいさん」という名前だった、病気の療養のためにこの町にいるんだと云った、あまり外に出ないのはそのせいだとも。確かにあさいさんは色白でほっそりして、病気だといわれれば納得できそうな容姿だったけど、川底の石みたいに光を吸う目や形のいい唇に、僕はなんだか少しどきどきしながら、出されたコップを握りしめて、中の水を見ていた。

 それから、僕は良くあさいさんの家を訪れるようになったそのとき、一つ気が付いたことがあって。それは僕を激しく落胆させたのだけど、あさいさんが男だったということだった。確かに案外大きな手とか線の浮いた首筋を見ると、それに納得せずにはいられなかったけど、少し丸みを帯びたような体のラインと、肩辺りで切りそろえた黒髪や、曖昧な緩やかさを持った二重の瞼は幼い僕でもなんだかよく分からない気持ちになるような代物だった。

 それでも僕はあさいさんの横顔を見るのが好きだった。その太陽に照らされたことの無いような頬が電気の元で輝くのも、カップに当てる唇が少し上を向くのも、僕の方を向いていてもぼんやりと突き抜けていく視線も。全くあさいさんは額縁に入れた飾りたくなるような、そんな人だったのだ。黒髪のせいか、物腰や言動のせいか少し古風な雰囲気がついて回る。あまりに通いすぎたせいか、あさいさんはある時僕にここに来る理由を尋ねた。僕は貴方が気になるんですとも言えず。しどろもどろになりながらこう返した。

「貴方が庭の木々に水をやらない物だから、すっかり萎れているじゃないですか。僕はみっともない庭は嫌いですから、水をやりに来てるんです。」
これは嘘だった。僕はあまり草木を育てるのは上手くなかった。小学校の朝顔は枯らさなかったけど、なんだか酷くひ弱な風になって、小降りの花が幾つか付いて枯れた。
「そう、そんなに酷い。」
「枯れてしまったのも、在ります」
あさいさんはそのまま生返事を返すと、ふっと庭の方へ歩き出した。彼は少し大きな藍色の浴衣を着ていて、歩くたびにそれは玄妙な音を立てた。縁側まで行くと、障子越しに月の光が冴え冴えと射し込んできて黒い影を浮き立たせた、大きな袖が蝶の羽のようだった。僕はこのまま戸を開ければ、彼のために月から迎えが来るような気がして。
「・・・・・・開けないで」
彼に訝しげに振り返られて気づいたのだが、どうやら僕は今の思いを思わず呟いてしまったらしかった。
「開けるよ」
意地かと思うような口振りで返された後。軽い音とともに障子は何の抵抗もなく開いた。一瞬、水があふれてきたのかと思った、青でも黄でもない白い光に、彼は飲み込まれた。僕はそれをぼおっと見守るだけしか出来ずにいた。幸か不幸かそんな事は錯覚で、彼は変わらずそこで笑っていたけど。枯れた庭に月の光の奇跡も届かないようで、少し明度を上げてはいたが、やはり木やらなにやらがまるで化石化でもしたかのように、静かに物体としてその屍をさらしていた、白いさらさらした骨のようだと思った。
「水はやった方がいいですよ」
「でも、すぐ枯れてしまう、今の方が綺麗」
やたらと口の中が乾いていたので、それだけを一生懸命言うと、そんな答えが返ってきて、初めて少し彼を哀れに思った。
 彼は何を思ったのか、ふと屈んで地面の上で息絶えていた蝶をつまみ上げた、綺麗な青い羽根だったが所々破れて、土で汚れている。そして少し口元をゆがめると、それを急にほおりなげた。蝶は急に生き返って、月に向かってふらふらと飛んでいった。確かに死んでいたと僕が怪訝に思って首を傾げると。手品だと説明された。

  手品の種は今も分からない。

  彼は本をよく読んでいて。その本自体が今では割合するらしき古書の類だったせいもあるが、肘掛け椅子に座り、眼鏡をかけて、皮装丁や布張りの豪奢な本をゆっくり捲っているその姿は本当に一枚の絵のようだった。ある日彼は僕にこれなら君くらいの子でも読めるでしょうと言って一冊の本を貸してくれて、それは僕が居ようと居なかろうとときおり本に没頭してしまう彼が示した詫びの行動かもしれなかったが、僕が読んでいた漫画などとは全然違う挿し絵や、箱入り布張りの美装さが、今までろくに本など読まなかった僕にもそれがよい本だという事を分からせた。

あさいさんは僕のためにそれを少し読んでくれて、その一説だけは今でも覚えているが、それに続く言葉は今も思い出せないでいる。そして同じように、あさいさんのことも僕は良く思い出せないのだ。彼と別れたのはいつだったのか、それすらも。いつしか僕は夏が来てもおばあちゃんの家に帰らなくなった

 でも、今でも時々思うのだ。あの電車とバスを乗り継いでいった田舎の片隅に、古びた木造の平屋が建っていて、人形のような少年が、今でも誰かを待っているかもしれないと。確かめることは、たぶんもう一生無いだろうけど。

あの凍った月はまだ光っているのだろうか。
蝶は土に帰ったろうか。